私が開院した理由

 ・私は昔から中華丼が大好きでした。
 
 ・私は整骨院の二男として生まれました。

この二つの事実から、現在、名寄市で鍼灸整骨院をしております。

何かつながらないようでわかりませんが…(笑)

中華丼を中華料理NO.1と勘違いしていた中学生のころ、
将来の夢ときかれても定まらない部活づけの毎日を過ごしていました。
ただ漠然と「中国に行って腹いっぱい中華料理食べたい!」
それぐらいのささやかな夢・・・・

あるとき「中国の鍼麻酔のテレビ番組」と
「鍼の事を書いた本」に出会います。

整骨院を経営している父は「鍼はすごいんだな」と洗脳してきます。

ただ漠然と「中国に行って腹いっぱい中華料理が食べられる!」

これに便乗して中国に行けるかもしれない。という単純な思いが
少年?を鍼の世界に目覚めさせます。

そして、まずは鍼を勉強するなら大阪や!という
迷信のような話に流され大坂の学校に行くことに。

【またもや転機!一冊の本の出会いから日本鍼灸へ】

内気な少年だった私は図書館で次から次と
鍼灸の本を読みあさりました。
そこで一冊の本にまたもや出会います。

柳谷素霊先生の本です。

そこには「名寄岩」の記述がありました。
郷土で銅像がたっている有名な力士の名が…。

名寄岩は同じ鍼の道を志し、郷土を出て学校に通っていた時に、
相撲界にスカウトされたそうです。
ここの学校の校長が鍼の大家 柳谷先生でした。


これをきっかけに柳谷先生の治療法が気になりました。
後に言う経絡治療という鍼灸治療方法でした。

この治療方法は「日本が生んだ独自の鍼灸」でした。

柳谷先生の流れをくむには…そこでまた本との出会いが。
それが首藤傳明先生の「経絡治療のすすめ」という本。

学生2年目の時、鍼灸臨床実技の担当が、
偶然にも経絡治療をされている先生になりました。

その先生の勧めで月一回京都にて開催している
勉強会に参加することに。

その勉強会の夏期講習(通称 夏期大学)で、
はじめて憧れの首藤傳明先生と出会うことができました。
それが運命の出会いになるとは…

それから20年夏期大学に毎年参加。
首藤先生が講演する会にはできるだけでかけました。
ほんと、おっかけのように(笑)
大分にも数回足を運びおしかけて教えを頂きました。


【急性症状もみなければ鍼灸師は失格?】

「将来は鍼だけでやっていこう」と思っていました。

しかし学校をでて就職したのは病院の付属治療所でした。
そこではバレーボール部のトレーナー帯同や
ストレッチ、トレーニングを指導したりと
学生時代の方向性と全く違った日々をすごしました。

急性の痛みや運動疾患に対応できなければ治療家としては不足ではないか?

学校の大先輩である田中信孝先生のスパイラルテーピングを学び始めました。
協会ができる前でしたので20年以上も前になります。
そこで整復学の重要性も学びました。

それで一念発起し、柔道整復師の免許取得のため北海道へ戻ることに。


【札幌で訪問専門治療院を開業】

柔道整復師の専門学校に夜通学。昼間は訪問専門で開業。

長期の休みは実家に帰って鍼灸治療を。
その時からの患者さんが、嬉しいことに
今でも通ってきてくれています。


【全国の高いレベルの治療を故郷・名寄で】

「高く仕入れて安く売る これが商売の基本、
人様に喜んでもらうのが一番大事」

この言葉は先輩の先生に教えていただいた言葉です。

常に勉強しに出て行き、良いものを学んでくる。
常に自分の技術向上に力を注ぐ。

東京や大阪・九州に出かけていくのは大変時間とお金と労力がいります。
「より良い技術を仕入れ、身近な患者さんに提供する」
名寄で全国レベルの治療が受けられるようになることが、私の望みです

そうして名寄初の鍼灸整骨院が誕生しました。

急性期は整骨で対応し、慢性疾患や難治疾患は鍼灸治療という治療院です。

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